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娼婦と近世社会 曽根ひろみ著 吉川弘文館 [風俗]

女性史の研究家が、「性」を商品化された女性たちについて、17世紀以降の実態、限られたテーマについて述べている本である。内容については、この本の裏表紙に書かれているものを引用する。

 近世社会には遊女・芸者・熊野比丘尼(くまのびくに)、
隠売女(かくしばいた)・飯盛女(めしもりおんな)・夜鷹(よたか)など、
さまざまに「性」を商品化された女性たちがいた。
その実態を生活やこころの問題、
梅毒や性愛のありかたも視野にいれながら描く。
性の売り手・買い手が都市下層まで拡大し、
売買春を成り立たせてきた多様な歴史的背景を
女性史の立場から探る。
現代の「売春」論議にも一石を投じる。

コンパクトにまとめてある記述である。
この本での発見は、〝熊野比丘尼〟の存在である。熊野比丘尼とは、当初は熊野信仰を負っている巫女としての『熊野巫女』の別名であった、という。ここで言う巫女とは、勧進を中心に、「歩き神子」などといわれながら人々の相談相手・話し相手として全国を廻り、独立の強涯に生きた無名の漂白女性たちのことである。
 そして本来「宗教者」である熊野比丘尼が「娼婦」となってしまったのか、はこの本の中で述べている。

もうひとつの発見は、梅毒の実態である。戦国時代にヨーロッパ人からもたらされたが、250年を経て全国に蔓延していた、という。男女の交接でしか伝染しなから恐るべき蔓延力である。明確な治療法がないため悲惨な結末を招いたようだ。それは娼婦たちも例外でなかっとことが書かれている。

この本の意義は、女性の立場から、社会史上の無視できない事象のひとつとして書かれている点が秀逸である。




娼婦と近世社会

娼婦と近世社会

  • 作者: 曽根 ひろみ
  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2002/12
  • メディア: 単行本



フーゾクの日本史  岩永文夫著 講談社α新書 [風俗]

 「フーゾク」という用語の意味合いは、読者の察する通り、広辞苑にある1番目の解釈ではなく、広辞苑から離れた隠語的意味合いの、性的な習慣や嗜好を指して「性風俗」と呼ぶ場合の「風俗」がこの本の中の「フーゾク」の意味・定義である。尚、性的サービスを提供する業種の動向を指して「性風俗」、またその産業(風俗店)そのものを指して「性風俗」や「風俗」と称する事があり、古代より営まれてきたこのサービス産業について、書物のなかの表現からの「フーゾク」を古代より解き明かした本である。

 そしてこの本ではもっと具体的に、
〝玄人と呼ばれる女性たちの仕事を筆者は現代の有り様をもあわせてフーゾクと呼んでいる。それは遊女のいた遊郭から私娼のいた岡場所、いや江戸時代だけでなく、それ以前の遊行女婦(ゆうこうじょふ)やあそび女(め)、白拍子(しらびょうし)、江戸以降の矢場女(やばおんな)や銘酒屋の酌婦、赤線の女にソープ嬢。さらに実際にはセックスをやらないで、射精だけをうながす現代のヘルス嬢などのニューフーゾクの女性たちすべてをもって。
 
 そして彼女たちと同じ時代を生きた人たち、中でもその代表としての文学者たちが自らのフーゾクとのかかわりをどのように伝え残してくれているのか。それを万葉の昔から現代までのさまざまな時代の文学作品を通して、その中に描かれているフーゾクのいろいろを眺めてみると・・・・・、そこにもう一つの日本史が立ち現れ来るのだ。これが実に面白い!
 〝女なくして夜も明けぬ国ニッポン〟の面目躍如たるスケベぶり、好色ぶりが横溢する世界が顔を出す。〟とある。

 簡単に言えば、古代からの書物、文学作品の中に記述された「フーゾク」描写を解説したものである。

 特に注目は、第1章の上代~中世 遊行女婦から白拍子の時代だろう。もっとわかりやすく言いなおせば、江戸時代以前の時代の「フーゾク」である。江戸時代以降は、よく知られているというより、書物や、浮世絵などを後世に大量に残しているので、ほぼ把握されていると考えられる。

 「万葉集」、「大鏡」、「大和物語」、「古今和歌集」などに、普通に男女の営みの描写があり、遊女は文化であるとまで分析している。やっていることは、現代も同じで、違いは世の中の寛容さ、おおらかさがあったことらしい。

〝そして室町時代に起きた「フーゾク」業界の大事件は、時の足利幕府が、疲弊した財政の再建策として手あたり次第に税をかけた。
 その挙句が傾成局(けいせいきょく)の新設である。遊女稼ぎは官の免許を受けることとした。その結果が本邦発の売春の公認だ。そして娼婦からは一人十五文の年税を、娼家からは段銭(たんせん)や棟別銭(むねべつせん)を徴収することにした。すなわち公娼制度の始まりである。〟

 この制度は、江戸、明治、大正と受け継がれ、戦後になって公娼制度が廃止され、各地に赤線が出現し、さらにそれも売防法の制定によって姿を消してしまう。

 ちなみに残りの章だては、

 第2章 近世 花魁と飯盛女の時代
 第3章 明治~昭和初期 銘酒屋の時代
 第4章 終戦~昭和30年代 赤線とトルコ風呂の時代
 第5章 昭和40年代~現代 地方のフーゾクとニューフーゾクの時代

 現代は、上代から古代と同様に、公娼制度はなくなったが、この「フーゾク」産業はなくなったわけではなく、形をかへ、仕組みを変えて、存在している。

 江戸時代以降の具体的な話は、本書に譲るとして、印象的な話は、古代~中世は性病がなかったことが、おおらかさに繋がっていたという記述と湯女の由来であった。

 現在は、江戸時代の風俗画の一種である浮世絵のの男女の営みの画が見直されている。西洋に春画として大量に流出したが、江戸時代の独自の風俗様式として見直されているのである。

 この本は、教科書には決して取り上げられないが、間違いなく日本史の一つの面を占める重要な風俗様式であり、別に隠す必要もなく羞恥心をあおるものでもない、ことがわかる。警視庁が、見えた見えない、「わいせつ」だ、などという言葉がいかに低次元のものであることがわかる。もしかして、現代の日本人の性意識を踏まえた文化意識レベルは、古代、江戸時代より低下しているのかもしれない。


フーゾクの日本史 (講談社プラスアルファ新書)

フーゾクの日本史 (講談社プラスアルファ新書)

  • 作者: 岩永 文夫
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2011/04/21
  • メディア: 新書



日本売春史―遊行女婦からソープランドまで (新潮選書)

日本売春史―遊行女婦からソープランドまで (新潮選書)

  • 作者: 小谷野 敦
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2007/09
  • メディア: 単行本



江戸の性愛術 (新潮選書)

江戸の性愛術 (新潮選書)

  • 作者: 渡辺 信一郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2006/05/24
  • メディア: 単行本



春画の楽しみ方完全ガイド

春画の楽しみ方完全ガイド

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 池田書店
  • 発売日: 2009/07/02
  • メディア: 単行本



ニッポン春画百科 上巻

ニッポン春画百科 上巻

  • 作者: オフェル・シャガン
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2011/07/23
  • メディア: 単行本



ニッポン春画百科 下巻

ニッポン春画百科 下巻

  • 作者: オフェル・シャガン
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2011/07/23
  • メディア: 単行本



続々もう一つの別の広場 TBSパックインミュージック編 異色のお手紙より [風俗]

 この本はその昔、ラジオの深夜放送番組であったTBSのパックインミュージックに寄せられた投書をまとめたもである。投書を寄せられた主は、野沢那智さんと白石冬美さんがパーソナリティを勤めていた。当時、「ナチチャコパック」と呼ばれる番組を担当、圧倒的な若者リスナーの支持を集めていた。
 そうして刊行された「もう一つの別の広場」の続編本である。本の外観と巻頭グラビアにあったページのようすは、こちらのブログにある。
【続】野沢那智さん、ラジオでお別れ会 2010年11月27日(土) 20時00分~20時55分

 さて、本書の著者は、パックインミュージックへの投書者(=リスナー)である。その内容を読むと、番組の雰囲気が不思議と伝わってくるのである。改めて読み直してみて、次の手紙に共感を覚えた。

「小児まひのわが子」
 野沢那智様、白石冬美様。お元気ですか。いつもお二人のこの番組を楽しく聞かせていただいております。今日は突然で失礼だと思いますが、一つお願いがありましてお手紙を差し上げる次第で御座います。
 もう私はパックを聞き始めて1年たちました。十数年程前に、夫に病気で死なれ当時小さかった息子を祖母に頼み、病院の家政婦の職につき、勤め出しました。仕事は最初は苦しかったのですが、毎日仕事が終わり、家に帰り、元気な息子の顔を見ると疲れも吹っ飛ぶようでした。
 その息子が5才のとき、小児麻痺にかかってしまい、努力の甲斐もなく片腕がきかなくなってしまったのです。
 そしてもう早いもので、あれから9年の年月が流れました。2年程前に苦労の連続だった祖母が亡くなり、親子二人になってしまいました。そして私はかわらず患者さんの看護を徹夜でしていました。そんなある日その患者さんの横にいた18才位の学生さんで足を骨折した患者さんが、多分その人もパックファンの一人だったのでしょう。
「おばさん面白いラジオ番組があるの。一緒に聞かない」と言われました。それが最初のパックの聞き始めでした。その次から聞ける時は息子と一緒に楽しみながら聞いてきました。
 さて今日のお願いと申しますのは、本当に我儘なお願いだと思いますが、12月19日は息子の誕生日なので御座います。この日に息子の為に一言励ましの言葉を言っていただきたいのです。息子はこれまで、必要品以外は何も欲しがりません。家計が苦しく、たいした事もしてあげられませんが、不平不満な事は一言も言いません。その上高校へ行けばなにや、かやと、お金がかかると言って中学へ入った時、不自由な体で、新聞配達まで始め、そのお金を貯金しているのです。不自由な体でよく頑張っております。初め、私は「体の不自由なお前にそんな事まで、しなくてもいい」と言いましたが、「自分のために、しているんだから」というのです。私は1月も続かないだろうと見ておりました。しかし驚くことに今も続いているのです。2年半近くも1日も休まずにやっているのです。貯金の額も初めは少なかったのですが、今では多額になっています。
「やりだしたら最後までやり通す」こんな息子を持ったのを誇らしく思います。夫に死なれここまで苦労して育てた甲斐がありました。

 野沢様。白石様。息子の大好きなお二人に次のように言っていただきたいのです。
「治君。15才のお誕生日お目出とう。何事にもくじけない、強く立派な人間になって下さい」と。
どうか、よろしくお願いいたします。
                                           群馬県 US
(以上「続々もう一つの別の広場 TBSパックインミュージック編 ブロンズ社」より掲載)

 この番組への投書者は、中学生、高校生、大学生が大部分であり、異色の手紙であったが、リスナーには胸うつものがあったと思う。この番組には、毎週3000通以上のハガキと数百通の封書による手紙が送られてきたという。その中で番組で紹介されるものは10通余りでも、身近な人に話せない、心のうちに秘められた思いを吐き出すかのように文字に、イラストに表現して番組あてに送ってきたようである。
 内容は、世相を反映しているもの、世代間共通の子供から大人への過程で若者が悩むことが綴られているのである。逆にいえば、二人への信頼感が高かった証でもあるかもしれない。
 睡眠時間を削りながら、深夜放送を聞いていた当時を思い起こしてくれる本であった。

 10月30日に野沢那智さんは亡くなられたが、パックインミュージックでの〝名声優〟ぶりは今後も忘れない。

◆ 野沢那智さん、ラジオでお別れ会 2010年11月27日(土) 20時00分~20時55分

リサイクル・セックス 元彼や男友だちと気軽にセックスする女たち 安藤房子著 [風俗]

 リサイクル・セックスて何?
著者は次のように定義している。一言でいえば「恋愛感情のない元彼や昔の男友だちとのセックス-一度は捨てたモノをリサイクルしているみたい・・・・」とある。そしてセックス・フレンドとの違いを意識の中で「セックスだけの相手」と「セックスもする元彼や男友だち」は、はっきり区別されているとある。

 表立って話題とされる事柄ではないので、どこまで一般的に浸透していることなのかは不明であるが、著者は勢力的に取材をすすめ、この1冊にまとめたもである。ジャンルとしてノン・フィクションである。章立ては、

 第一章 リサイクル・セックス症候群
 第二章 リサイクル・セックスに走る理由
 第三章 リサイクル・セックスのメリット
 第四章 リサイクル・セックスのデメリット
 第五章 リサイクル・セックスを脱したいあなたへ

この傾向のアンケートによる分析、事例分析、メリット、デメリット、著者の主張で終わっている。

 読み終わっても特に感慨はないのだが、晩婚傾向や独身志向にある時代の産物で、特に改めて顕在化させなくても、以前からある現象で、表にはでにくい話であったのであろう。それを表に出して、自分の体験として堂々と主張するできる時代となったのである。

 社会道徳は崩壊している時代であるから、なんでもアリで目くじら立てるような話題でもないかもしれないが、女性の生態のある部分を知りたい方には一読を勧める。


リサイクル・セックス

リサイクル・セックス

  • 作者: 安藤 房子
  • 出版社/メーカー: WAVE出版
  • 発売日: 2004/08/20
  • メディア: 単行本


◇出版社/著者からの内容紹介
 ごく身近な女性たちの間で、「男友達」や「元彼」との「リサイクル・セックス」をする人が増えています。しかしそれは、セックスをするだけの“セックス・フレンド”とも違うのです。気心が知れていながら、束縛されない割り切った男女関係を望む女性たちは、けして特別な人たちではなく、主婦、キャリア女性、シングル女性と多岐にわたり、悩みながら、あるいは充実した気持ちでリサイクル・セックス生活を続けています。
著者のリサーチ結果(N=20~40歳の女性100名)によれば、女性の約7割が「元彼OR男友達」とのセックスを望み、約5割が、「元彼や男友達」と実際にセックスする関係を結んでいます。癒しを求めて、気安さを求めて、あるいは、辛い現実を忘れるため、「リサイクル・セックス」にはまる女性たち・・・本書は、その実態、メリット、デメリットを伝えつつ、リサイクル・セックス生活からの脱出を提案しています。

だから混浴はやめられない 山崎まゆみ著 [風俗]

 著者は、混浴と聞けば日本各地はもちろん、アジア、アフリカ、南米まで世界中の温泉地を求めて取材に飛びまわり、執筆をする女性フリーライターである。そんな女性温泉ライターが温泉地、その中でも混浴できる温泉地の醍醐味を体験に基づいて紹介する。内容は、豊富な体験談、裸のコミュニケーション論、神話に残る温泉発見伝説や興隆を極めた江戸の銭湯事情など--。明治期まで日本人にとって当たり前だった混浴。そこは何より鬱陶しい日常から解放される場であり、人との関わりを学ぶ場であったのだ。失われつつあるこの混浴風習を今一度見直し復活させたい、とある。

 本書の「はじめに」から一部抜粋しての掲載
< 仕事とはいえ、立ち見客のいる混浴風呂に入るのかと思うと、少し怖気づいた。嫁入り前なのに惜しげもなく入浴姿を見せていいのだろうか・・・。本音は不安で一杯だったが、「いや、行ってしまえ」と思いきって自分の背中をおした。
 鶴の湯は、混浴露天風呂を真中に両側に女性専用の露天風呂がある。混浴との仕切りは、扉一枚。私は、女性専用の内風呂でかけ湯し、露天風呂で冬の寒い外気温に身体を慣らし、混浴風呂へ向った。
 混浴風呂へは、宿から貸してもらったバスタオルで体を隠して行った。裸ではないから、どうということもないはず。しかし、扉が開けられない。見物客の姿を思い起こすと、どうしても気おくれしてしまうのだ。・・・・・・・>
以下は、本書をご覧下さい。

 実体験に基づいた記述は非常に説得力がありますので、この本の随所に、ひきこまれる場面が展開してあきさせない。新書版サイズであるので、あっという間に読めてしまう。読み終わると、どこの混浴温泉場に行こうかなと、妄想を巡らせるのである。

次に「裸の解放感」から気になる描写を転載する。
< 温泉はもちろん湯に浸かっている時が気持ちいい。だが、一番快感を得る瞬間は、まず、最初に入った時。思わず、「うっ」とうめき声だ出てしまう。それから湯からあがって風を受けている時。この風に吹かれる瞬間は、私にとって露天風呂の極上の喜びのひとつだ。洋服を着ていると、全身で風が受けられない。あの清々しい風を洋服から出ている部分でしか受けることができないのは、すごく勿体ない気がしてくる。湯上がりのこの風を受けたら、もうその喜びは忘れられなくなる。>

この本の巻末には「混浴温泉ベスト50リスト」が載せてある。
妄想の具体化は、混浴温泉の選択とスケジュール作成が第一歩だ。


だから混浴はやめられない (新潮新書)

だから混浴はやめられない (新潮新書)

  • 作者: 山崎 まゆみ
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2008/10
  • メディア: 新書


 混浴温泉ブームの草分け期の本です。

混浴宣言 (サライBOOKS)

混浴宣言 (サライBOOKS)

  • 作者: 八岩 まどか
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2001/11
  • メディア: 単行本



女性だってトップレスになりたい!「憲法上の権利」主張しデモ 米国 [風俗]

 ロサンゼルス(Los Angeles)など全米7都市で22日、トップレスの女性たちが、公共の場で上半身裸になる権利を女性にも認めるよう訴えるデモがあった。

 「ゴートップレス」運動の一環とのこと。社会通念、羞恥心との戦いよりも憲法との戦いであるところが面白い。これも男女平等の波及効果を狙ってか。日本では、羞恥心に守られて現代では起りそうもない。




女の身体、男の視線―浜辺とトップレスの社会学

女の身体、男の視線―浜辺とトップレスの社会学

  • 作者: ジャン‐クロード コフマン
  • 出版社/メーカー: 新評論
  • 発売日: 2000/06
  • メディア: 単行本



裸はいつから恥ずかしくなったか-日本人の羞恥心 中野明著 [風俗]

 衝撃的な題名である。この本の冒頭にあるように、現代日本人に共通する裸体観がある。公衆の面前で裸体をさらすのは不道徳である、というのもそのひとつ。また、他人に裸体を見られると恥ずかしい、という気持ち、すなわち羞恥の感情が自然と起るのもその一例である。さらに、異性の裸体から強い性的メッセージを感じ取る。つまり、異性の裸体とセックスを結びつけてしまう傾向が強い。これも現代の日本人の裸体観の一般的特徴である。
 著者はこの現代の裸体観と約150年以上前に描かれた「下田の公衆浴場」の男女混浴絵図の中で、お互いの裸体への無関心(男女間も含めて)な視線に、その絵が描かれた時代の日本人の裸体観、羞恥心への関心と現代とのギャップを埋めるべく、調査した結果の報告であり、それは日本人の風俗への意識観の変遷を、筋道をたてて教えてくれる。

 この本によると、現代の裸体観、羞恥心は明治政府による国家権力による国民への規制・強制により形成されたもであると、結論づけられている。何故、このような規制を強行したか。大きく理由は2つ。1つめは、明治政府が、それ以前の政府とは違うということを国民に知らしめるため。2つめは、外国人からの「タテマエ」の指摘に素直に応じたのである。当時の機運として、日本古来の意識は旧く、舶来モノが幅を利かせた時代背景がある。
 しかし、公衆浴場への男女混浴の規制は、江戸時代から実施されていたが、さまざまな理由をつけて徹底されることはなかった。明治政府は公衆の場での裸体露出規制とこの公衆浴場での混浴を徹底して弾圧したのである。ということは、規制前の日本では、公衆浴場での男女混浴、公衆の場での裸は普通にみられた光景であったという、ことがこの本でわかった。

 この本では明治以降の政府が意図的に実施してきた規制による、弊害についても記述している。現在のニュースの中でも、カメラによる隠し撮り、わいせつ物陳列、チカン等の現代の犯罪記事が絶えない。また写真撮影、映画の表現においても裸のどこまでを公然と表現できるかが、常に論争の的となる。150年前の日本の常識では、普通のことで話題にもならないだろう。江戸時代は春画の黄金時代であった事実がある。

 さて、詳細についてはこの本を読んでみて自分の常識と戦ってほしい。この本の功績は、今の社会通念の1つが、古来からの常識、意識ではなく、国家権力からの規制・強制により形成されたことを明らかにしてくれたことにある。
 個人的には、外国人の「タテマエ」と「ホンネ」の意識の使い分けの記述が面白かった。外国人は、裸体を人前で見せることは低俗、未開発国であるという「タテマエ」を述べつつ、「ホンネ」のところでは、外国人が日本に来る楽しみの1つが「コンヨク」であった事実は、万国の男どもが世界共通の意識「スケベゴコロ」を持つということを立証してみせてくれた。「スケベゴコロ」は外国女性にもあり、当時の最高の土産は春画の「ウタマロ」であったという。


 
裸はいつから恥ずかしくなったか―日本人の羞恥心 (新潮選書)

裸はいつから恥ずかしくなったか―日本人の羞恥心 (新潮選書)

  • 作者: 中野 明
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2010/05
  • メディア: 単行本


 

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